ブルーベリー狩りにある、何か。

ブルーベリーの摘み取り園を始めて、
ずっとひっかかってたことがある。

収穫体験って、
消費者側からしてみれば合理性に欠けているわけで、
自分で汗水たらして収穫するくらいなら
お店に並んでる商品を買う方が楽。
それでも、収穫体験を希望する方たちがいるのもまた事実。

そんなことを考えていたら
ここ最近出会う方々やニュースからキーワードが集まってきた。

ゲームクリエイターが
「ゲームは生活に必要ない。でも生活を豊かにするものであると信じています」といっていたし
ノーベル賞受賞で話題になってた行動経済学も
「人はそれほど合理的じゃない」という。
デザイナーも
「すべてが合理的なら、趣味なんかも存在しないはず」と教えてくれた。

たぶん、ブルーベリー狩りもこうした概念に近いんだと思う。

必要ないことだけど、ブルーベリー狩りを通して
植物のくれた幸を実感したり
家族と一緒に体験した思い出になったり
食べ物や植物について考えるきっかけになったり。
そうした精神的な何かがあるのかもしれない。

ボキャブラリーが不足しているボクでは
精神的な豊かさがそこにあるからっていう言葉しか出てこないけど
そうしたものがブルーベリー狩りにはあるのかもなと思ってみたり。

仕事してご飯食って寝るだけの毎日じゃない
日常と違った時間を過ごす場みたいなものとして
うちの農園は存在意義があるのかなぁ。

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